「病気について」

2002年10月11日朝

朝の5時ごろ、目が覚めてベッドに横になったまま、ジョニーや、ひろしおじさんのことを考えていました。ふたりとも癌におかされているのです。なぜ人はこんな病気になるのだろうか、と思っていたら、どんどん考えが頭に浮かんできました。あふれるように浮かんできて、とまりません。「ああ、これは書き留めておかなければ」と、起きて、コンピューターにむかいました。それから4時間ほどで、この病気についてを書いたのです。


病気について

人が何故病気になるのか、という問いに答えるには、人の肉体についてまず知ってもらわなければなりません。

ご自分が、肉体のない魂だけの存在になって天界に生きているところを想像してみてください。まず、体という重い枷がないのであちこち自由に飛んだりはねたりしていける。いくらでもおいしいものを食べたり飲んだりできるが、飲み過ぎ食べ過ぎによる弊害はない。固体がないのに食べられるわけ?と思われるでしょうが、それは、その食物あるいは、液体のもつエッセンスを楽しむことができる、ということです。今までに出会った仲間や家族は離れることなくずっといっしょにいられることができる。そこにあるのは至福そのものです。

さて、それならば何故人はこの世に人間として転生することを選んだのでしょうか? 何故その至福の地にとどまらずに様々な制限のあるこの世に肉体を持って生きることにしたのでしょうか。それは、肉体という制限を持つことにより、制限のある中で解決策を見い出す知恵、肉体に傷がつくことにより感じる痛みを通じて魂の成長を導く、という大きな目的があるからです。

もう一度至福の地にもどってみてください。マジックのように欲しいものは何でも一瞬にして出てきて手に入れることができる。別離の悲しみを味わうことはない。しかし、それだけですとそこから先に進むことは難しくなってきます。「何故先に進まなきゃいけないの? このままでいいじゃない。」と思ってしまうでしょう。そうではありません。魂はそこからまた成長していかなければなりません。その至福の地から更に先の場所に進んでいくための効果的な学びの方法として転生があるのです。

大病あるいは大事故のような出来事は、生まれる以前に魂がそうなるように決めて来ています。神の下した罰などではありません。この世に生きる、ということは、学校に通うようなことだと思ってみて下さい。小学校、中学校、高校、大学、と進学していくのと同じことです。ある人は、小学校の学びの段階にあり、また、ある人は大学院までたどりついている。ご自分がどの段階にいるかは考える必要はありません。ただ、例えば大学はどこの大学に行って、何を選考して、この教授の授業を取って、と選択するでしょう。それと似たような選択を、生まれる前に魂が決めてきている、と思って下さい。自分は、今度の人生では、こういうことを学ぶことにしよう、とまず決めます。その後、それを学ぶために一番良い環境を選びます。性別。両親を含む家族、親戚関係。経済状態。種族、国家。だいたいの環境を決め、一生のうちの大きな出来事も決めておきます。何歳あたりで、こういうことが起き、何歳ではこうなって、何歳ではああなっていく。といったようなことをおおまかに決めておきます。病気、事故というのは、ここで決められることが多いのです。

さて、人生の学びの目的をしっかり持って生まれているものの、それを意識的に覚えていて生きている人はまずいません。何のために生きているのか、など考えもせずに毎日を過ごしている人がほとんどでしょう。目的がわかっていれば何をしたらよいのかはっきりしていいのに、と思うかもしれません。しかし、人生を生きることは、何のために算数を習っているのか考えもしないで学校に行っている小学生と同じようなものです。大学生になってやっと自分のやりたいことが少しは見えてきて、大学院でそれをマスターするといったような展開になっていきます。大学院を卒業したのと同じ段階の魂は、その後もうこの世には転生せずに、次の魂の場所に移って行くのです。

ある魂は、世界平和を学ぶために、またある魂は、母の愛を学ぶために、そしてある魂は、奇形児として生まれ、もっと自分に制限を課すことによって知恵をつけ、自分の肉体を通じて、体というものの存在を人々に気付かせていく、といったような目的を持ってこの世に来ています。障害児や、奇形児は、自分の学ぶ教えを早く、効果的に終了するだけではなく、他の人にも教えを伝える、という二重の目的を持っていることが多いのです。大学で人よりも多く授業を取って、早く卒業していく、その間も、生徒として勉強しながら、家庭教師、あるいは教授のアシスタントとして人に教えている、というような人たちと同じ段階の人たちです。

自分自身の目的と同時に、人生を通じて学ぶもうひとつの大切な教えがあります。これは、誰もが皆少しずつ学んでいるものです。それは、真の愛を学ぶ、ということです。「愛」とは、なんとこそばゆいことを、と思うかもしれませんが、真の愛なくしては、この世における恒久的世界平和はありえない、とだけここでは言っておきましょう。

肉体に話をもどしましょう。身体とは、なんとも手のかかる、面倒くさいものです。毎日毎日必要な栄養をあたえないとすぐに衰えてしまう。使っていない部分も同様、自分で気付く前に悪くなっているときが多々あります。土に種を撒いて、花や木を育てるのとよく似ています。まず、肥料をまぜ、毎日水をやり、苗になったら植えかえたり、余分な枝は切り落としたり、殺虫剤をふりかけたり、休む暇もありません。花を育てるように自分の身体にも目を向けてみてください。心配しすぎるあまり水をやり過ぎて根が死んでしまうこともあるでしょう。病気になったのに気が付かないうちに葉がみんな落ちてしまうこともあるでしょう。自分の身体も何かおかしい、と気付いたらそのときに対処しなくては、とりかえしのつかないことになってしまうことがあります。反面何かがおかしいのでは、と考えすぎてノイローゼになってしまうこともあるかもしれません。

お釈迦さまが長い修行の末にたどりついた生き方が「中庸」でした。「中庸」とは、すべてにおいてバランスのとれていることを示します。身体においては、栄養過多にも不足にもならず程よく、筋肉のつきかたも程よく、内臓も程よく機能していること。精神においては、喜怒哀楽が程よく存在していること。そして、肉体と精神のバランスもとれていなければなりません。身体にばかり意識が行って、精神的なことを無視してしまう、とか、その反対に精神世界のことばかり重要視して肉体を蔑視してしまうことなどは、バランスがとれていないことを表しています。肉体のある世界に生まれてきたのですから、身体とともに生き、学ぶ、という目的があることを忘れないように。

それでは、何故肉体の痛みを経験することが魂の成長につながるのでしょうか。話を一歩前にもどしましょう。魂という自由な存在が、肉体の中に生きる、という制限のある世界に来ました。自由に空を飛ぶことはできず、せいぜい地上から30センチ、しかも一瞬飛ぶことができるだけ。十分バランスのとれた栄養をとらないとすぐにあちこちおかしくなってしまう。しょっちゅう動いていないと、筋肉がいうことをきかなくなってしまう。なんと不自由な世界でしょう。しかし、人はその不自由さに負けず、知恵を働かせて、自由な至福の世界に少しでも近づこうとするのです。栄養のバランスを忘れないように、とビタミン剤をつくりました。遠くまではやく行けるようにと、自動車を製造しました。空を飛べるように飛行機を考えました。物が多く産出されればされるほど、情報や知識が蓄積され、もっと知恵が働くようになりました。しかし、物質と精神の成長のバランスがそこで崩れてきてしまったのです。電気、ガス、石油、自動車、薬、医療器具など、はじめは、人類のために生産あるいは開発されたものが、今では、個人あるいはある一定のグループの利益のためにまず利用される、といった事態が起きてきたのです。人類全体の利益目的のために生産されたものが、「利益」という感覚が「金銭」という形で物質化したときから、一定の人々の利益目的のために存在するようになってしまったのです。

これによりひどくなったバランスをどうとりもどせばよいのでしょう? 一番早く効果的な方法は、人間の制限を思い起こさせる、というものです。人間にとって一番身近でしかも一番華奢で影響を受けやすいものは、自分の身体です。その身体にもっと制限がかかってしまったら、つまり、痛みにおそわれたり、機能しない部分が出てきて普通に生活することができなくなったら、精神はどうなるでしょう。人は、まず自分だけではなく、自分と他の人々との関係を考えざるをえなくなります。今まで表に出ていなかった真の感情に接することになります。それは、自分の感情だけではなく、他人の感情も同じようにありのままにふりかかってきます。愛情、感動、同情、哀れみ、嫌悪、といった、すべての喜怒哀楽の感情がはっきりとしてくる、ということです。自分に課された制限が大きくなるにつれ、自分が、真の愛情を持って接する人は誰か、また同じ愛情で自分に接する人は誰かがはっきりしてきます。同情を持って会いに来る人、哀れみを持って見る人、嫌悪を明らかにして去って行く人たちもはっきりと分かれてきます。その体験のなかから、自分自身も真の愛情に気付き、同情や哀れみに左右されない勇気を持ち、嫌悪を許す許容の精神が育っていくのです。また、痛みを経験することにより、他人の痛みも知ることができ、それを経験している人々への強い尊敬の精神も育ちます。こういった過程を経て、個人に向いていた注意が人類へとの関心ともどっていくのです。この過程を経た後の人類への関心と寄与は、以前と比べ、もっと愛情、許容、尊敬といった高い程度の精神に満ちています。昔に比べ、もっと打撃力の強い病気がでてきている背景には、こういった、バランスをもどそうとする自然の摂理が関係しているのです。打撃力が強ければ強いほど、考えさせられることは多くなります。それを通じて、高い程度の精神の認識、享受がはやくなります。この過程を経験する人が多ければ多いほどはやくバランスがもとにもどる、ということです。

大病している人がすべて自己中心的な生活を送ってきたか、というと、そうではありません。多くは魂のときに、この人生で早い成長を学ぶことを決めて、大病を経験することを選んだ人々です。その人々は、大病をつうじて高い精神に気付くことにより、人類への大きな貢献をすることを選びました。だからといって、大病をしている人は、偉くて、何も病気をしていない自分は精神的に貧しいのだ、といったような卑下はしなくてもよいのです。そこにはなんの隔たりもありません。個人が自分のペースで自分の学びを進めていけばよいのですから、他の人との比較や競争は成り立たないのです。

では実際に大病にかかってしまったら、どのように振る舞えばよいのでしょうか。周りに負担をかけてはいけない、と自分の苦しみを押さえるのがよいのか。弱くなってしまった自分を見せないように元気そうに振る舞えばよいのか。ここで覚えておいていただきたいのは、大病になってしまった自分が尊い教えを学んでいるのと同時に、自分の世話をしてくれている人もまた同じぐらい尊い教えを学んでいるのだ、ということです。ご自分とその方のあいだにもバランスが存在することも忘れないように。この関係のバランスを保つ一番よい方法は、自分の心に素直でいる、ということです。その方の世話がありがたい、と思ったら、「ありがたいなあ。」と言えばよろしい。「いただいた花がとても奇麗だ。」とか「空の青さがなんとも清々しい。」とか、心に浮かぶことをそのまま言えばよいのです。言葉に出すことで、世話をしてくださっている方も、その美しさ、清々しさに気付くことができます。よいことばかりではなく、「今日はとても苦しくてしかたがない。」「なんだか力がでない。」というようなことを言ってもよいのです。そうすると、世話係の方の「なんとか元気になって欲しい。」という気持ちがもっと強く働いて、元気のでるエネルギーを与えてくださいます。あなたは、あなたの世話で忙しくて花にも気付かないでいる方に自然の美しさを思い出させることができる。また、世話係のかたは、あなたへヒーリングのエネルギーを無意識に送ってあなたを力づけてくれたり、「私も応援しているからなんとかがんばって。」と、あなたを孤独から救ってくれる。双方持ちつ持たれつのバランスがよくとれるようになります。思っていることを言葉に出して相手に伝えることは、それにより相手の意識に思考が届くことになり、おたがいに物事がはっきりとし、そこから新たな段階へとコミュニケーションが続いていくことにもなります。

大病を経験中のご自身は、「何故私の魂はこのような病気にかかることにきめたのだろう?」という質問をご自分に問うことで、「こんなはずじゃなかった。」とか、「神に見放された。」というように悲観することはなくなり、怒り、悲しみ、恐れ、自己憐憫といったような低次元の感情に左右されることも少なくなります。そればかりではなく、まわりの人がみな「自分の学びを全うするためにしっかりと生きているのだ。」ということを認識し、尊敬の気持ちが大きくなってきます。同じことをご自身にもあてはめてください。「自分の学びを終了するためには、これは欠かせないことなのだ。そしてそれをきちんと行っている自分の魂は尊敬に値する。」のだ、ということを忘れないようにしてください。

時には、学校を退学するように、自分の人生を全うせずに終わらせてしまう人々もいます。しかし、そうやって天界にもどった魂は、また同じ学びをするためにこの世にもどってくることになります。試験に落ちてしまった学生が夏期講習を受けて、追試を受けるようなものです。ただ、試験に受からず、授業もわからず退学して他の生き方を選べるこの世とは違い、魂の学びは、その学びを終了するまで何度も何度も転生しなければならない、というところです。魂には退学はありません。

大病中でも、心は平常で、愛、許容、尊敬などの高い感情に満ち、中庸をつらぬくことができるのでしたら、その時には肉体の痛みを経験する必要がなくなるわけですから、その痛み、不自由さから解放されるでしょう。その場合は、イエス・キリストが施されたように、高い次元の力が働き、身体がもとにもどるか、成就して天界に魂がもどることになります。病気が治り、元気な身体にもどって生き続ける方は、自分の学んだことを直接他のひとに伝えて行く、という仕事をすることになります。その方法は講演、著作など各々にあった方法が見つかるでしょう。天界にもどる方は、天界からこの世にいる愛情深き人々にメッセージを送ったり、助けを提供したりして愛を送りながら、次の学びを選ぶプロセスをはじめていきます。いずれにせよその方の魂は、人に高い感情とともに生きることを気付かせるために働きつづけます。

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