「突然の死」

2003年7月8日 (火曜日)

朝6時頃ジュードーとの散歩を終えAOLを見ると、イラン人の、29歳で頭部が結合していた姉妹を分けるための手術が失敗し、2人とも亡くなった、というニュースが目にはいりました。このふたりは、自分ひとりの体が持てたら、と夢や希望を熱く語っていて、五分五分のチャンスに賭けて手術に望みました。そして、しんでしまったのです。残されは姉はあまりの悲しみに失神してしまった、ということです。なぜこのように夢と希望と期待にあふれた純真なふたりがこんなにも簡単に死ななくてはならなかったのか、と考えていたら、いろいろと言葉が浮かんできました。「あ、孫文先生だ」と思い、書き留めようとしましたが、この朝は忙しかったので、「先生、すみませんが午後になって時間のあるときに書きますので、そのときにまた教えてください」と、何もしませんでした。

午後になり時間ができたので、さっそく書きはじめました。しかし途中まできてなんだか言葉にするのがむずかしくなり、中断してしまいました。ちょうど「捨て石」の説明をしていたところでつっかえてしまったのです。

そこで翌日、9日の朝、散歩を終え、シャワーをあび、出かける支度をしてからコンピューターにむかい、続きをかきはじめました。今度は、わからないところにくると手を休め、「こことことの違いは何でしょうか?」と聞きながら進めました。質問するとわからなかった箇所も理解できるようになりました。私のしていたことは観念をそのまま教えてもらい、それを日本語の言葉に表す、という翻訳をしていたのだと思います。「突然の死について」は、このようにして書きました。


「突然の死について」

人は人生の志なかばで突然にあの世にいってしまうことがあります。どうしてもやりたかったビジネスを設立して間もなく突然死してしまう、とか、入りたかった学校に入ったとたんに事故死してしまう、将来の夢を実現するために新たな土地に移ってすぐに病気になり、あっという間に死んでしまう、というようなことです。残された人々は「あんなに待ちに待ったことをやりはじめたのに..」と、悔しさと哀れみでいっぱいの気持ちになってしまうでしょう。特に、逝ってしまった人が若かったときにはなおさらです。しかし、決して哀れみの情を持ってはいけません。死は魂の成長におけるひとつの過程でしかない、ということを忘れてはいけません。

魂は、その魂がいつ地上に生まれ、いつ天国に帰るかをちゃんと知っています。魂は、人間という肉体と心を持ったものの中に存在しながらも、人間の肉体、人間の心とはまったく別に、そこに存在しています。それはまるで、人間としての自分と同じ場所ながらも別の次元に存在しているようなものです。

ここに、ある男性がいるとしましょう。その男性は貧しい環境に育ちながらも志を高く持ち、はやいうちから医者になる、と決め、勉強してきました。難関の医学部に入学し、奨学金も得て、医者になるための道の第一歩を踏み出すことができました。医学部を卒業し、インターンとして大学病院で更なる勉強をし、やがて一人立ちして遠隔地医療の確立をめざし、ある島に行くことにしました。彼は、まともな医療が受けられない島民のために自らのすべてをかけて、ひとりでも多くの島民が安心して暮らせるように、と決心して新たな人生に賭けることにしたのです。しかし、その島に移って間もなく伝染病にかかり、その男性医師はあっけなく死んでしまいます。

島民は、「せっかく来てくださったお医者様が死んでしまった。もう後に続く医者は来ないに違いない」と、がっかりします。その男性医師の仲間は、「あんなに成績もよく、腕もよかったのに、島などに行かず大学病院に残っていればさぞかし良い医者になっただろうに。無駄死にをした」と、憤慨するかもしれません。その男性医師の家族は「こんな家からたったひとり立派な医者になったおに。夢や希望で胸はいっぱいだったのに。なぜこんなことになってしまったのか」と嘆きで絶望的になるかもしれません。

この男性医師の人間としての心は、夢や希望や島民の役に立てることの嬉しさでいっぱいだったに違いありません。できるだけ長生きして人々のために生きよう、という気持ちで溢れていたに違いありません。しかし、魂はどうでしょう? 魂も心と同じように夢や希望や喜びに満ちていたのでしょうか? 魂は、自分がもうすぐあの世に旅立つことを知っていたのです。どんなに心が喜びにあふれていても、どんなに肉体が100歳まで生きよう、と頑張っていても、魂はそれとはうらはらにこの男性医師の肉体は終わりを告げることを知っていたのです。

この男性医師の死は無駄だったのでしょうか。この男性医師の人生は無駄だったのでしょうか。いいえ、そんなことは決してありません。なぜ魂はこの男性医師の志、人生での目的を果たさせることなく人生を終わらせることにしていたのでしょうか。しかも、夢や喜びや希望に満ち満ちて、誰もがこう生きたい、と思えるような人生を途中でぷつり、と断ち切ることを決めてきたのでしょうか。こういった突然の死の背景には大いにして魂の大きな目的のための精神があるのです。魂は男性医師として生まれるこの人生では捨て石になることを決めて来たのです。

ある人が志しなかばで人生を終えたとき、その人の後を継ぐ人が必ずあらわれます。例えばこの男性医師の場合には、彼の医学部時代の同級生、家族、あるいは彼を見聞きし知っていた人。そういった人々のなかの誰かが、彼の意志を継いでその島に行くでしょう。遅かれ早かれ後継者は必ず出てくるのです。なぜなら彼の死はそれを目的としたものだったからです。そしてその志が大きければ大きい程後継者は沢山でてきます。後に振り返ってみると、男性医師の死は全く無駄ではなく、遠隔地治療を確立した先駆者としてむしろ絶大な貢献であったことがわかります。この男性医師が生きて医者としてその島で一生を終えていたら、そこでまた島には医者がいない状態になっていたかもしれません。彼の死によって、彼の志は大きな波紋を作り出し、社会的な啓蒙を導くことになるのです。

もし、あなたのまわりに若くして志しなかばに亡くなったひとがいても、決してその死を嘆いてはいけません。決してその方の人生を哀れんではいけません。その方の死が家族になにをもたらしたか、地域にどう影響したか、あるいは社会をどう震撼させたか、考えてみてください。実際に何人もの人がその方の死によって大きく人生を変えることになるでしょう。そしてそれはほとんどの場合、魂の成長を促す変化なのです。そのように亡くなった方がいたら、「すばらしい魂の教えを、自らの死をもって教えてくださいましたね。尊い魂にしかできないことです。ありがとうございます」と、感謝すればよいのです。そして、その教えを忘れることのないように生きて行けばよいのです。

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